わっちゃん、おかげさまで今日で10カ月です。

おうちの各部屋をめぐって1周するずりバイは(古い日本家屋で続き間になっています)、1週15メートルくらい、これを一気に5周まわったりします・・・活発です。

つかまるところがあると、ひょいっと立ち上がって、視界が変わるとあたらしいものに手を伸ばし、ほしいものを手にすると、自分でドスンと座ります。
そして座った状態で、手にしたものでしばらく遊んで、飽きたらまたくるっと、ずりバイの姿勢になって、次なる目的地へずんずん進む、自由自在なご様子。
絵本もひとりでめくって眺めたりしています。

運動をいっぱいするようになったのと連動して、ご飯をしっかり食べるようになったせいか、授乳の頻度が減りました。
なければなくても大丈夫そうな、でもあればもちろん嬉しいよ、というそんな感じ。
そんな感じなので、私のほうも、わっちゃんの様子をみながら、「一杯飲む?」という感じで、気ままな喫茶店風。
飲むときのわっちゃんの姿勢も、いろいろなパターンがあるのですが、どの姿勢もリラックスしていてお気楽です。
夜中の授乳は、ほとんどの日が、1回だけになりました。
(母乳育児のことはまたあらためて、ゆっくり書きたいと思います)

「赤ちゃん」というより「子ども」らしくなってきた今日この頃、産まれてすぐのころから「わっちゃんはよく見ているし、聞いているなー」、とうすうす気がついてはいたものの、最近はそのことをしっかり認識させてくれます。

たとえば、私が歌を歌っていると、口元をものすごく真剣に「じー」っと見つめている。
「ああ、コピー中…」と思うのです。

夫婦だけで10年近く暮らしてきて、夫婦の会話、夫婦の暮らし方、私たちの中では当たり前に沁みついている何かを客観的にとらえようとする機会などなかったのですが、「わっちゃん」という第三者の登場によって、ちょっと背筋が伸びるのでした。

「これはコピーされたくないなー」ということは、自然と遠ざけるようになります。
自分に甘い私にとって偉大なる存在、わっこ先生。
感謝。

髪が伸びて、数日髪をしばっていたころの写真です、昨晩ばっさり切ってショートヘアになりました。

真紀ちゃんが「子どもが腕の中にいてくれる時間は短いのよー」と教えてくれたので、「そうだろうなー」と思いながら、今はありがたく抱っこさせてもらっています。

最近、眠る時間になっても、もう一遊びする元気があるので「幸せなら手をたたこう」の「手をたたこう」のところを、いろいろな言葉に置き換えて歌いながら遊びます。
今晩は、「幸せならハグしよう」と言って、ぎゅーっとハグしたり、「幸せならゴロンゴロンしよう」といって、一緒にお布団に転がったりして、きゃーきゃー盛り上がってから、わっちゃんは寝ました。