年を越す前に、、、忘れぬうちに、、、すでに記憶があいまいだけど、、、
出産のときのことを書いておこうと思います。
8月30日(木)、わっちゃんをお迎えするにあたってコツコツがんばっていた家中のお掃除、最後は自分の部屋の仕上げで、長いことお借りしていたレコードを発送したらもうこれで完璧、というところまできていました。
夜のお散歩。
いつもの公園でストレッチ・深呼吸をして月を眺め、お家に帰ってお風呂の湯船につかるのに、順一さんがすでに入っていた狭いところに無理やり入ろうとしたもので、お腹に圧迫?
「あれ?」と思った、あれが破水のきっかけだったかな。
そして31日(金)、満月。
夜中1時過ぎだったか、「ぱしゃん」という音で目が覚める。
「破水したよー」と順一さんを起こして、2人でたんたんと準備開始。
病院に電話をし、タクシー会社に電話をして、さささと支度、タクシーに乗り込む。
車の中では、後部座席に横になって、窓から月夜を眺めた。
運転手さんに、「こんなふうに妊婦さん運んだことありますか?」と伺うと、「いえ、初めてです。。。」と、緊張したご様子。
真夜中。
順調に、町田市民病院に到着。
助産師の阿部さんに迎えられる。
まだ陣痛らしきものはないけれど、診察してもらったら、そのまま入院手続きとなる。
そして、陣痛室(個室)へ。
部屋の明かりはかなり暗くしてもらって(夜中だし目が疲れると思って)、順一さん用の簡易ベッドも用意してもらう、ちょっとずつ陣痛らしきものが始まる。順一さん一眠り。
朝7時、インターネットの会議に参加。
このころは、最後にしておきたかった仕事のメールを打ててたくらい(でも下書きまでで、結局出せなかった)、インターネットの会議で「がんばりまーす」と明るく言えてたくらい。
そして、朝ごはんをとっても美味しくいただく。
陣痛のときの味覚についてはとても楽しみにしていましたが、味がものすごく繊細に感じられる、ミクロの世界でした。
そんな世界の中で、いちばんおいしいと思ったのは、「ごはん」でした。
お米ってこんな味なのかー、と感動。
徐々に陣痛が本格化してくるけれど、ゆっくりとした進み具合らしく、助産師さんに「ゆっくり、そして順調ですよー」と言われながら、薄暗くした陣痛室で家族の時間が過ぎてゆく。
陣痛と陣痛の合間は、とにかく寝てました。
その間、夢もたくさんみるので、短編の映画を100本以上みたような感じ、
本当によく寝ました。
陣痛のときは、順一さんにさすってもらったり、押してもらったり。
「いてててー」と何度も言いました。
一人だったら言わなかったと思うけれど、順一さんがいるので、この状況をシェアしたくて?、とにかく「痛いよ、今のは痛かったよ」とか、いちいち言う。
助産師の田中さんが、時々様子をみにきてくれて、「いやー、今のは痛かった」と言うと、「いい陣痛ですよ」とおっしゃって、「そうか、あの痛いやつは、いい陣痛なのかー」と思ったら、陣痛に対してとても前向きになれたのでした。
それから、だんだん進んできたらしく、助産師さんに「そろそろいきむ練習する?」と提案いただき、「するするー」。
「もうこれで産まれちゃうの? 楽勝だなー」とさえ思った。
(が、それが甘かった)
いきめるようになってからの陣痛は、波乗りみたいなもので、陣痛が快楽だ、、、というのは、このあたりのことを言うのだろうと思った。
「お、いい波きてる、でもこれは見送って次にもっといい波がきそうだから、それに乗ろう」という感じで、とにかくいい波のときに、いきむ。
この「いきむ」については、なぜか得意だったみたいで、助産師さんに「アスリートみたい」と褒められる。
順くんもあとから、「一緒にやってみたけれど、自分はあんなに息は続かなかった、すごいよ」と言われました。
ということで、「いきめる」ようになってからも、合間合間は寝ていて、寝てはいきむ、を繰り返すのだけど、この間隔がなかなか狭まらず、、、寝てばっかり。
このあたりで、医師の川村さんが陣痛室にやってきて、「このままだと時間がかかりすぎて心配、陣痛促進剤を使うことを考えています」とのお話。
ここでしゃっきり目が覚めた私、「やばい、寝てばかりでのんびりしすぎたかなー」と反省して、部屋の電気を明るくして、立ってみたりする。
本当は歩きたかったけれど、NSTというモニターを腕に付けているので、歩けず。
モニターではわっちゃんの心拍も元気なので、みなさんに「もうちょっと頑張らせてください」とお願いする。
「それでは分娩室(こちらも個室)に移動してみましょうか?」ということになる。
しかしここから先も時間がかかり、そしていつしかわっちゃんの心拍も下がり気味だったので、私の口のところに酸素吸入器をつけることになる。
わっちゃんは、旋回があと一息のところで、最後の恥骨を越えられないでいる様子、とのことでした。
そして、ものすごく弱いのを少量、陣痛促進剤を使って様子をみましょう―という川村さんの判断が下される。
順一さんと、助産師の山田さん、阿部さん、そして医師の川村さんが支え見守ってくださる中、ひたすら波乗り、波乗り。
どのくらい波乗りしてたか覚えていませんが、川村さんが「これで産まれなかったら、帝王切開となります」とおっしゃる。
わっちゃんが無事に産まれてくれれば何でもよいので「はい」と言う。
そして、また大きな波がきたときに、何が起こっているのかわからなかったけれど、突然おなかにものすごい圧迫があり、みんなが一斉に「がんばれ、がんばれ」と言ってくれるので、「ここはがんばりどころなんだ」と思いながら、精一杯いきむ。
さらに「がんばれ、がんばれ」とみんなが言ってくれるので、もう一回思いっきり。
その場にいた全員の息が、完璧に合っていた、神がかった瞬間。
わっちゃんが無事に出てきてくれました。
日付をまたいで9月1日(土)の明け方のことでした。
おとうちゃんとご対面。
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