大学を卒業してから22年と4カ月在籍させてもらった会社を、先月末に退職しました。
大学4年生のとき、進学か就職か迷いながら就職活動も中途半端で、夏山に遊びにいっちゃったりしつつ秋を迎えたころ、「やっぱり先ずは就職しないと、私の場合はもっとダメな人間になる気がする」と思いながらふと、大学の求人コーナーにあった、住所:日比谷公園1-3、という掲示と目が合い「お、日比谷公園!」と、本当に安易な気持ちで応募。(ごめんなさい)
説明会にも参加せず、いきなり試験だけ受けにいって失礼なことでしたが、採用していただきありがたいことでした。
こういうことは、つくづく神様の采配としか思えません。
仕事の内容もよくわからないまま、日比谷公園にあるオフィス(東京都の歴史的建造物・市政会館)が素敵で嬉しく、内定をいただいたときに「全国の新聞社に出張がありますよ」と伺ったので「退職する前に、日本を一周するかしら」なんてこれまた大変失礼な、気楽な気持ちでスタートしてしまったつくづくアホで生意気な新卒を、温かく受け容れてくださった、本当に申し訳ないくらいありがたい職場でした。
結果、一周どころじゃなくて日本を何周も、隅々まで歩かせてもらいました。
素敵な上司、後輩に恵まれました。
男性と同じ仕事をするということで一般から採用されたのは、女子初だったので、どちらかというと男性に囲まれていて、それまで学校やアルバイト先でキャッコラキャッコラ女子との時間を楽しんできたので、入社当初はその環境も自分にとっては厳しく感じられましたが、そのうちに慣れ、女子の後輩も入ってきてくれました。
入社当初はおもしろいおじさん(と言っては失礼すぎるけれど)がたくさんいて、おおらかな時代でした。
その頃ご一緒させていただいた上司たちはみんな70代ですが、今でも数名と温かい交流を続けさせてもらっています。
後輩にもずいぶん助けられました。優秀な方が多くて、学ばせていただくことばかりでした。
出張に一緒にいった当時入社したての8つくらい年下の後輩(男性)が、出先で座敷にあがるとき先に私が靴をぬいで、そろえようと振り返った瞬間、もう私の靴をそろえてくれていたので、「どうやったらこんなふうに育つのか、お母さんから教えてほしい」と思いました。
退職にあたって、ひとまわりも下の後輩(男性)は、日比谷公園にある「南部亭」でとても美味しいフランス料理で送別会をしてくれました、ゆっくりとした幸せな美味しい時間でした、いい思い出になりました。本当にありがとう。
24名というこじんまりとした人数で、大家族のような温かい雰囲気でした。
6月下旬にみなさんが催してくださった送別会では、会の最後にお一人ずつから一言をいただき、忘れられない思い出になりました。私も会の最後にあいさつをしたのですが、涙なしでは無理でした。
順一さんと仁環も、最後ちょっとだけお邪魔して、みなさんにあいさつができてよかったのでした。
仁環が無事に産まれたのも、職場のみなさんのおかげあってのことでした。
最終日は、後輩に美味しいお寿司をご馳走になり(みなさんにご馳走になりっぱなし)、花束などもいただいて、またたくさん泣いてしまいました。
最後にオフィスを出るとき、女性の同僚たちが、飴玉でつくったネックレスを首にかけてくれて、みんなで見送ってくれたので、そのときは号泣でしたが、オフィスを出て空をみあげたら、清々しい気持ちにもなりました。
変化を受け容れられたことは、嬉しいのです。
就職して何年目からだったか忘れましたが、勤めていた会社を守ってくれている神様のことを「ABCの神様」と自分のなかで思っていて、自分を雇ってくれているABCの神様に感謝し、ABCの神様に喜んでもらえるような仕事をしようと思っていました。
ABCの神様は、とてもおおらかな神様だったように思います。
そして、人生は続きます。
いただいている恩恵をどれだけお返ししていけるでしょうか?
ますます借金だらけですが、ちょっとでも、と思いながら日々を暮らしていけたらと思います。
最後の日に撮った思い出写真。





こちらはおまけ。

入社初年度の上司だった方(もう退職されている)が、退職の数日前に、花束と帝国ホテルのブルーベリーパイを届けてくださった。いただく前に、指つっこんじゃった人の写真。