厠、一重の白い山吹、お庭から一枝。

引き続き勉強中。
先日知り合ったリサ先生(モンテッソーリ)から貸していただいた本。
以下、『デチタ でチた できた!』から、ランダムですが、メモします。

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芸術とは、生活との向き合い方であり、動き方や話し方です。私たちは、

見る目
従う手
感じる魂

の発達を助けることはできます。

事実、自由な精神が存在するとき、その精神は何らかの形の仕事をとおして具体化されなければならず、このために手が必要なのである。
人間の手仕事の痕跡は、あらゆるところに見ることができる。
これらの作品の中にその作者の精神や、その人が生きた時代の思考を垣間見ることができるのである。

間違いを指摘するより、「教えながら教えなさい」。親自身が模範になること。
特に初めの3年間は、子どもは目が覚めている時間は一瞬ごとに新たなことを学び、自分の周囲にいる人々のようになっていきます。
歩き方、動き方、話し方、言葉づかい、モノの扱い方、感情、礼儀、趣味、他人への尊重あるいは配慮(あるいはその不足)などなど、何もかも模倣します。
私たちにできる何よりも大切なことは、模範となってほしいような人たちの出会いの場を増やすことです。
この人たちが子どもにとって最初の教師となるのです。
次に重要なことは、何かの学びをほかの方法で教えることができる場合は、訂正することを避ける、ということです。

すべての不必要な援助は発達の邪魔になる。

「秩序感」をベースに、子どもの変わりゆくニーズに合わせて環境をゆっくり変えること。

親はそのときに持ちあわせている知識の範囲で最善を尽くすものです。
私たちは完璧な親であろうと努力するなかで、自分に寛大であることも必要です。
「知ってさえいたら…」とくよくよするのに時間を費やすのではなく、笑って事態を収束して、再出発できるようにしましょう。
私たちが子どもたちにあげられる最も貴重な贈り物は「時間」なのです。

教師はただ子どもを愛し理解するだけでは足りず、まず宇宙を愛し理解しなければならない。